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名古屋
13
feb

理解する事の大切さ

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どうもどうもどうも。名古屋の松山です。

大変ご無沙汰しておりますが皆さん如何お過ごしでしょうか?

大雪の地域の人は大丈夫でしょうか?流行している胃腸風邪やインフルにはかかっていませんか?気温低下で体の免疫も下がっていると思うので、体調管理には気を付けてくださいね!

自分は既にインフルも胃腸風邪にもかかりましたww

 

さてさて、最近の自分のテーマが「理解」なのですが、その中での気付きを書かせて頂こうかと思います。

 

皆さんも今までで一度は「理解する事が大切だ」と言われたこと・聞いたことがあるのではないでしょうか?自分も理解する事は大事な事だと思って歩んできたつもりです。むしろ理解力に関しては相対的に見て高い方だと自負して生きてきました。反面、自分は他者と理解しあうことは苦手としており、いつも「なんで伝わらないんだろう」「なんで分かってもらえないんだろう」と思ってきました。

 

そこでまずは自分の中にある「理解する」という定義が何なのかを考えました。結論から言うと、自分の中の「理解する」は、何を言いたいのか?といった論理的なものだったり、何でそうなったのか?といった事象的なことを理解するといった事でした。

例えば、親が子を手にかけたといった類のニュースを見ることがあります。事件までの経緯を見ると「気持ちはわかるけど」と部分的に肯定はできるのですが、反面、気持ちはわかるけど子供を手にかけるなんて考えられない!他に方法なんて一杯あったはずだ!とやるせない思いに駆られ批判的な気持ちになります。

この例でいうと、経緯を理解する事が自分の中の「理解」であり、何でそうしたのか?といったその時のその人の気持ちなどは理解の範囲には入っていませんでした。

 

そこで思ったこととして、この世に上記のような事をしたくてする人がいるか?です。恐らく、後天的理由でそういった人もいるかもしれませんが、先天的にという人はいないと思います。

自分にとって考えられない事をする人も、その人にとっては正しいことだったり、時には仕方がないことだったりと、自分とは違う生き方をしてきたのだから判断が違うなんてことは当然です。逆に言うと相手からすると自分が信じられない事をする人となっている事も多々あるということです。

ではどうすれば本当の意味で理解できるのか?現時点の自分の答えとしては「相手の行動や言い分、その中の想いを肯定できるまで」と思います。

自分の持っている価値観をベースにすると肯定はできません。それは横に置いておいて、相手と同じ発言・行動で、同じ思いで、またそうなるとしたらどういった経験や思考を経てきたのかを想像して、「確かにそうだ」と思えて初めて理解できたことになるのだと思いました。だからといってそれが正しいことか、そのままでいいのかといった事ではありません。しかし、理解がないとただの正しさの押し付け合いとなり、力・権力が強い方が言い分を通すといった事になってしまいます。

テーマに沿っていけば行くほど自分の理解の定義の狭さを痛感しますが、同時にだからこそ色々なことを知っていこうと思え前よりも充実しているように感じています。

 

皆さんもまずは身近な人からでもいいので、フラットの相手のことをどのぐらい知っているか、理解できているか、理解してもらえているかを考え見るのは如何でしょうか?

 

※写真は上記とは全然関係ありませんww